なにか得る

日々『得ている』こと発見日記

愚痴を聞く=解決策を考える必要はない。

 愚痴に解決策を見出すべきか?

 こんにちは、ライクです。

 

 僕の両親は、物心ついた時から仲が悪く、お互い口を開けばケンカばかりしています。学生の頃は、ほぼ毎日と言っていいほど、母親から父親の愚痴を聞かされて育ちました。

 

 愚痴を聞いては一緒に悩み、「こうしたほうがいいんじゃないか」「ああしたほうがいいんじゃないか」とアドバイスをしていました。

 

 ただ、いつからか、母親の愚痴に真剣に付き合い、解決策を考える必要はないという考えに至りました。

解決策を講じても、結果は変わらない

 毎日のように、愚痴を聞かされアドバイスをしても、一向に愚痴は減らないし、アドバイス通りにしてくれない。そこで僕は、愚痴を聞いても解決策を考えることをやめました。

 

 アドバイスの良し悪しに関わらず、アドバイスしたところで当人が納得していなければ、それを実行に移すことはないのです。

聞くだけでいい

 もしも今、学生の頃の僕のように両親の愚痴を長い期間聞き、アドバイスをしているにも関わらず、不仲が改善されないような状況に置かれている方がいるなら一言。

 

 仲良くならないのはあなたのせいではない。

 当人たちの課題だからです。

 

 自分を責めないことです。

 両親の不仲が改善されないのは、あなたのアドバイスがダメだからではない。

 

 むしろ、両親の愚痴を毎日しっかり聞いている自分をほめてください。聞くだけでも、相手が頭の中を整理するのに、役に立っています。しかし、役に立っているからと言って、自分が疲れているときは聞く必要はないです。1回愚痴を聞かなかったからってどうこうなることでもないと思います。

 

 僕は、学生の頃、両親の不仲と母親の愚痴から家に居ても疲れがとれない日々を過ごしてきました。この件1つだけが原因ではありませんが、学生の頃、不登校を経験した要素の1つではあります。

 

 聞くだけでいいし、聞き流すだけでもいい。

 結果解決するのは、当人にしかできないのです。

愚痴がコミュニケーションになっている人もいる。

 後になって気が付いたことがあります。

 愚痴がコミュニケーションの手段になっている人もいるということです。

 

 以前つとめていた会社で、出勤から退勤するまでに、たくさん愚痴をこぼす方がいたのですが、長い間一緒にいることで、愚痴をこぼすことが、この方のコミュニケーション手段になっていることに気がつきました。出勤の愚痴はこの人なりの話すきっかけ作りで、「おはよう」と言いたいだけなんだけど、気恥ずかしさから最初に愚痴を言っているように感じました。

 

 案外、学生の頃によく聞かされていた母親の愚痴も、子供たちと共通の話題があまりなく、父親の愚痴がコミュニケーションの手段になっていただけかもしれません。

 

 愚痴を聞かされても、解決策を考える必要はない。

 聞いているだけで、考えの整理整頓の手伝いになっている。

 ひょっとしたら、ただのコミュニケーションかも?

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 皆さんの日常が素晴らしい何かを得る日々でありますように!