反面教師における副作用
飲まない半分、飲めない半分
「お酒飲みますか?」
初対面とかで聞かれることがあります。
いつも「飲まないです。」と答えています。
そうすると、大体の人は、珍しいと感じる様です。
そこから「なんで飲まないの?」と聞いてくる人がいます。
そこで僕の返答は、いつもこうです。
「1回飲んだんですが、酔うこともなく良いと思わなかったので飲まないですね。」
そう答えています。
上記の理由も本当ですが、実際の主な理由は違います。
僕の場合は、飲まない半分、飲めない半分です。
周りの影響で、飲まない飲めない。
お酒を飲まない理由は、先ほどの理由ともう1つ。
それは、子供のころから両親や兄弟が飲酒することで、良くない出来事があったからです。
小学生の頃、父親が酒を飲み暴れることが年に何回かありました。
そうなると、母親に車に乗せられ、閉店しているスーパーの駐車場や、車の停められそうな場所に車を駐車し一晩過ごすことがありました。
今のような暑い時期は、最悪でした。
車もずっとエンジンをかけておくわけにはいかないので、クーラーもかけないうえに、乗車人数いっぱいに乗った車は、とても蒸し暑いのです。
とても眠れたものではありませんでした。
ちなみに母親もおいそれと逃げるように家を出るのではなく大声で、言い合いの末に家から出るので、その時の両親の口げんかは聞くにたえませんでした。
子どもの頃、僕の周りの大人たちに、飲酒で幸せそうな人は、ほとんどいませんでした。
そして、飲めない理由ですが、両親、兄弟共に酒癖が悪いのです。
ヒドイ場合は、他人にまで迷惑かけることもありました。
そんな家系ですから、僕も飲酒をすると同じ様なことをしでかしてしまうのではないかという、恐怖から飲めないのです。
飲酒をする家族を見て…
飲酒をした後の家族の行動を目の当たりにして、僕はこうはなりたくないと考えるようになりました。
両親と家族を反面教師に、飲酒をしないと決めました。
酒代はかからないし、健康にも良いし、もちろんお酒を飲んで大失敗を犯すこともありません。
飲酒をしないで得たものがあるので、飲まないと決めたことに後悔はありません。
しかし反面教師には副作用的な物も感じる。
両親の酔った行動を見て、反面教師にしたことに後悔はありませんが、1つ悩んだこともありました。
それはお酒を飲まないので、いわゆる“飲みにケーション”ができないということです。
僕はお酒を飲まないので、お酒の席だと、お酒で開放的になっている場の雰囲気に溶け込みにくく、酔っていない冷静な僕はどうしても浮いてしまうことがあります。
そんなことがよくあるため、新年会や忘年会などの集まりは、行くのがおっくうだったりします。
飲めない自分もいるので、結局は飲まないのですが、その時期はいつも、お酒やっぱり飲んだほうがいいのだろうか?と考えてしまいます。
反面教師にすることで選べないメリットもある。
反面教師というと、悪い例を参考にすることを指すと思いますが、物事の良し悪しというのは、状況や環境で変わると思います。
もしも両親がお酒を飲まず“飲みにケーション”をしない、酒の席に行かない場合は、そんな両親をみて『人付き合いの悪い人』に見えて、それを反面教師に飲酒していたかもしれません。
そうなると今度は、近い将来に健康の問題を抱えていたかもしれません。
酒代の出費が、かさんだかもしれません。
自分だけの自由な時間が減っていたかもしれません。
反面教師の反面には、メリットとなる可能性も隠れている。
結局のところ、反面教師とした場合も「何かを得る」ことで「何かを失っている」と考えられます。
その失うものが、無くなることで良い結果になるのなら良いですが、逆にあったほうが良い、ほどほどにあれば良い結果を招くと思えるものなら、考え直してみるのも悪くはないと思います。
まとめ
反面教師とは過去のネガティブな出来事が変化したもの。
そのネガティブな出来事が未来に必ずしも起きるとは限らない。
ネガティブな物の中に光るものがあると感じたらほんの少し見つめなおしてみよう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
皆さんの日常が素晴らしい何かを得られる日々でありますように。
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