なにか得る

日々『得ている』こと発見日記

はじまりはいつ?

その時点で決まる

 「ねえ、ちょっと」

 

 そう呼ばれて振り返ると、声をかけたその人は、こちらに手を向けてその手をひらひらと上下に動かしていた。

 

 そのしぐさは、果たして「こっちにおいで」という意味なのか、はたまた「もうすこし離れて」という意思表示なのか。

 

 車を運転していると、ときどき、前の車がとてもゆっくりで走っている時がある。

 

 急いでいる時に、前をゆっくり走られると、心穏やかでないことがある。

 

 「もうすこし速く走れないものか」

 

 そう思って前の車の運転席に目をやると、なにやら助手席の相手に話している様子だ。

 

 そこで、助手席を見てみると、どうやらチャイルドシートがあるようだ。

 

 子供を乗せて運転していることが、車内のシルエットでわかった。

 

 それがわかると、ゆっくり走っているということに対するイラ立ちは、どこかへ消えていた。

 

 いろんなことには、物語が存在する。

 

 その物語をどこから知るかで、どんな感情を持つかは変わってくるように思う。

 

 まねき猫という縁起物があるが、あれだって招いているのではなく、追い払っているようにもとらえることができるのではないか?(きっとあのかわいい生き物のことだ、追い払っているとしても、はらい猫として、悪いものを払う魔除けとして扱われていたことだろう)

 

 はじまりがいつかで物の見方が変わることもあるとするなら、どのあたりから見たいだろうか。

 

 なるべくは、幸せになれるところからみたいものだ。

 

 最後までよんでいただき、ありがとうございました。

 皆さんの日常が素晴らしい何かを得られる日々でありますように。