だれもが、ひと。
何者かと言われたら人間です。
昔、昔の話。
僕は両親がとても嫌いでした。
二人の不仲で子供である僕たちは、ツライ思いを体験することがありました。
その辛いことは、さらに色んな辛いことにつながっているように感じました。
自分がどうしようもなくなった時。
両親の不仲が一番の原因だと思って二人を責めていました。
でも、親も人間で、僕も人間です。
人間は万能ではないですよね。
どうしようもなくなる時ってあります。
ぼくがどうしようもない時だったように
二人もどうしようもない時だったのだと思います。
許すことが出来るかと言えば、心の底から「はい」とは言えないけど
人間だからそういうこともあると思ことぐらいはできるような気がします。
最近、新聞に掲載された人生相談をまとめた本を読んで思ったことがあります。
役割りが人であることを忘れさせる
誰しもいろんな場面で色んな役割を持っています。
父
母
息子
娘
親
子ども
友人
上司
同僚
後輩
先生
生徒
他にも無数に役割りがあります。
そこには、理想の「べきである」というものがあるように思います。
父親ならこうあるべきである。
母親ならこうあるべきである。
子供ならこうあるべきである。
先生ならこうあるべきである。
生徒ならこうあるべきである。
そういった役割には、理想像があってそれは像であって人ではありません。
理想像は、誰しもが人間であることを見えにくくしているように感じます。
もしも自分が役割りになりきれていないように感じても
もしも誰かが役割りらしく見えなくても
それは、役割りの前に人間だから。
役割りで見る前に人として見れたなら
接することができるたなら、違う答えが見えてくるかもしれません。
人は支え合って生きることができるのだから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
皆さんの日常が素晴らしい何かを得られる日々でありますように。
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今回は、哲学者ニーチェの言葉を綴った本です。
もしよろしければ、ご覧ください。(^-^)