振りカエル~もしも不登校時代に毎朝かけられる言葉が反対の言葉だったらを考えてみる~
もしもかける言葉を変えたら
こんにちはライクです。
僕は学生時代ほぼ不登校でした。(完全にいかなかったわけではない)
毎日といっていいほど、朝になると「体調がわるい」「頭痛がする」などの体の不調を訴えていました。
学校に行きたくないので、なにかしら理由を言わなくては!と毎日なにかしら理由を言って休んでいました。(ただそのときは本当に痛い気がしてくるから不思議)
ただ、母親には学校に行きたくないのなんてお見通しです。
時間ギリギリまでの掛け合い
うちは共働きだったので母親も仕事の時間ぎりぎりまで学校に行かそうと「行きなさい!」「早く準備しなさい!」と話しかけてきますが、時間になるとあきらめて仕事へ行きます。(今思うと申し訳ないとおもいます)
その時によくかけられた言葉があります。
「何故みんなができるのにあなたはできないの?」
「何故みんなができるのにあなたはできないの?」
この言葉をよくかけられていました。
母親の本心だと思います。そりゃわかりませんよね。
自分が反対の立場ならもしかしたら同じ言葉を言っていたかもしれません。
再認識する。
この言葉を言われると、自分はまわりができることをできないんだと、再認識してしまいます。
言われて、悔しいし、みじめな気持ちになります。
この言葉を毎日言われると、余計に自分はできない人間なんだと思ってしまい、学校に行くのができなくなってしまいます。
長期的に学校に行けていないなら、朝の言葉を反対に変えてみるとどうなるか考えてみた。
「何故、みんなができているのにあなたはできないの?」という
何故できないかを考える言葉、質問を、
「今日、できることは何がある?」
と何ができるかを考える言葉、質問に変えてみるとどうなるか考えてみました。
もちろん学校には行けた方がいいです。
ただ長期的に行くことができていないなら、一日で考えを変えて登校することは難しいと思います。
それなら、出来ないことに意識を向けるより
できることに意識を向けたほうがいいと思います。
できることを意識する、増やす、発見する。
ただ「今日、できることは何がある?」と聞かれて「〇〇ができる」とすぐには即答できないと思います。
なので、「じゃあ、リビングを掃除機かけることはできる?」や「じゃあ、夕飯用にごはん炊ける?」と提案をしてみます。
そしてやってくれたら「できたの?ありがとう」と
できた、できることがあるということを意識できるように言葉をかけます。
できないことをずっと考えてもツライし、おそらくできない。
できないことをずっと考えても、できない事実を何回も再認識するだけで、
余計に学校に行くという行動のハードルが高くなってしまいます。
なら、一旦はそこから目を外せるようにしてできることから探すのも一つの手かと思います。
学校へ行くことは将来への通過点ですが、ゴールではありません。
家事ができるようになれば一人暮らしする時や自分の家族を持った時に絶対に役立ちます。
できることを増やして自信を増やせば、できることからやりたいことへ発展でき、
自分自身で答えを見つけると思います。
※最後に学校は色んな経験ができるのでもちろん行けたほうがベストです。