求めていた物のようで、違うものを手にした時、求めていた物を手にできない時。
これではない感
例えば、肉まんを食べたいと思い立ち、コンビニで肉まんを買う。
そして、口にしてふと思う…
「求めていた肉まんは、コンビニAのではなくて、コンビニBの肉まんだ!」
肉まんを食べたにも関わらず、何か物足りないし、ますます求めていたコンビニBの肉まんが食べたくなる。
同じ「肉まん」だけど、求めているものとは違う「肉まん」を食べた。
そんな時に求めていた「肉まん」の良さに余計意識が向いてしまい、食べた「肉まん」の良い特長、美味しさには、案外気がつかないことが多いと思います。
手にしたものが求めていたものでは無い場合、それはダメなものなのだろうか?
求めているものとは違うものを手に入れて、求めていたものが手に入らない
そういったことは食べ物以外にも様々で、日々の生活の中の何気ないものから人生に関わる、愛情や仕事などでもありえることです。
手にしたかったものが手に入らなくて、不幸に感じたり、落ち込んだりすることもあるかと思います。
手に入らないことで、その「もの」や「こと」に囚われてしまい、「次」や「他」に意識を向けられなくなることもあると思います。
例えば、「もっと親から愛してほしかった」と、求めていた「親からの愛情」をあまり感じることができなかったとします。しかし、代わりに「友人や恋人、職場の人等からの愛情」をたくさん感じている。
求めた「愛情」ではないにせよ、他の「愛情」のある生活。
そんな人生は、ダメな人生だろうか?
おそらくほとんどの人は、ダメな人生ではないと感じるはずです。
でも時として人は、手にできなかったものに目がいくあまり、他の幸せに感じることや、恵まれているものが見えなくなってしまいます。
手に入れることができなかった時こそ、その手に目線を向けるのではなく、その手からこぼれ落ちてしまっている足元の幸せや恵みに目を向けることが大切です。
きっと予期せぬ幸運が転がっています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
皆さんの日常が素晴らしい何かを得られる日々でありますように。