書くということ
書くのは、誰かに伝えるためだけじゃない。
春は出会いと別れの季節というけれど、少しづつ秋を感じられるこの頃、自分には、別れが多いです。
別れと言っても相手が目標を達成して次の道に歩むなど、ネガティブな別れでは無いものが多いので良いのですが、やはりこれからは違う道を歩むのだと思うとほんの少し寂しい気もします。
別れがあれば出会いあり。
終わりがあれば始まるものもあり。
ということで、これから始まることに目を向けて行こうと思います。
その別れの際に、評価を書くということをやりました。
書く時に思ったことがあります。
〝評価って書く人の主観で、相手の良いところ、気をつけるところなどを決めてしまうので、本当のその人の良さが隠れてしまうこともあるのではないか?〟
〝評価をする側の都合の良い部分が長所というふうになってしまう危険もあるのではないか?〟
…ということです。
最近読み直した本「嫌われる勇気」には、褒めること、叱ることは相手をコントロールすることになるとありました。
褒めることは無意識にコントロールするために使っていることもあるそうです。
アドラー心理学では、「勇気づけ」ということをしたほうが良いとありました。
自分自身で乗り越える勇気を持つことで困難を乗り切ることが出来るそうです。
確かに、誰かの評価に依存するのではなく、自身で自分の評価をし、自信を持って行動出来ることが一番いいのではと感じます。
今度、評価を書く際には、長所短所をただ書くのではなく、今後、勇気をもって行動出来る様なことを書きたいなと思いました。
しかし「勇気づけ」の評価とはどうすればいいのか?うーん…難しい…
それから書いていて、相手に対して自分がどういう風に思っているのか?ということも再認識出来て良かったです。
書く前は、頭の中で「こうだよね」というものはあるのですが、書くことによって頭の中の「こうだよね」がかなり明確になりました。
文字として見える。
書くことで〝決定〟しているから。
以上の二つが明確さにつながっている気がします。
書くということは、相手に伝えることと同時に、自分にも伝えることになるんだと気が付きました。
書くと言えば、手紙ですね。
最近、劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンを観に行きました。
手紙を代筆する職業「自動手記人形(ドール)」が存在する世界の物語です。
とても感動しました(´;ω;`)
序盤から涙目になります。
本当に話がとても良くて観てよかったです。
アニメを観てないけど興味のある方は、アニメからの続編なので、アニメ本編と去年上映された外伝を観てから観ることをオススメします。アニメから入るのとそうではないのでは、感情移入度が違います。
手紙をもらって感動するのは、想いを明確にし、お互いに気持ちを共有できるからだと思います。書くことで、自分の気持ちを改めて感じ取り、相手にも目に見える形で残すことが出来る。
書くということは、自分を知ること、相手に思いを伝えること。
出会いあれば、別れあり。
始まりあれば、終わりあり。
書くことで〝ぼんやり〟した想いを〝くっきり〟させて、より良い終点を目指したいものです。
最後まで読んできただき、ありがとうございました。
皆さんの日常が素晴らしい何かを得られる日々でありますように。