なにか得る

日々『得ている』こと発見日記

無駄ではないこともある。

無駄とはなんだろう。

 元引きこもりだったことで、役に立ったと思うことの1つに1人でいることに辛さを感じにくいということがあります。

 

 以前、勤めていた会社でのことです。大勢の中で役割り的に1人だけが担当する業務がありました。その業務は、当時3人で代わる代わる担当していたのですが、1日に1人の担当で、しかもそれをやっていると1人っきりになってしまい、誰かと業務連絡以外でしゃべるということがありませんでした。さらに言うと、担当が3人しかいないため、周りに理解されにくいという役割でした。周りから理解されないことで苦労することが結構ありました。

 

 その業務は、まわりに理解されにくいのであまりやりたがる人はいませんでした。

 

 そんな業務でしたが僕の場合は、そこまでいやな業務と思わずにできました。その理由の1つに元引きこもりだったからということが考えられます。引きこもりだったので一日中1人でいることは日常的によくありました。なので1人で業務をこなすことに苦痛を感じることは、あまりありませんでした。

 

 業務的に周りの理解を得られなかったとしても、不登校、引きこもり当時、まわりから理解されないなんてことはよくありました。そのころから考えると、同じ役割をやっていて理解してくれる人が2人もいるので、他の周囲の人から共感を得られなかったとしても、悩むことは少なかったです。

無駄に思えてもそれは、今という視点で見ているからかもしれない。

 極端な話ですが、貯金を今現在だけの視点で見てしまえば、ただの紙切れという無駄な物になってしまうと思います。未来というつながりがあるから、貯金は本来の価値を見いだせるはずです。

 

 一見、今は無駄に感じていることも未来につなげて見てみることで、価値を得ることがあるかもしれません。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 皆さんの日常が素晴らしい何かを得られる日々でありますように!