なにか得る

日々『得ている』こと発見日記

完璧か最善か

出来ることを探す

 「出来ることを探しましょう」

 昔、お世話になった精神科の先生に通院初期によく言われた言葉です。

 この言葉は通院生活が終わって、仕事を始めた頃にもよく思い出しては、モチベーションを保っていた言葉です。

 今でも時折思い出しては、頑張ろうと思うことがあります。

完璧主義か最善主義か

 最近、読んだ本に、最善主義という考え方が紹介されていました。

完璧主義

 完璧主義は、よく聞きますね。文字通り、完璧であることを求める考え方です。

 完璧主義は、100%を求めるため、『無いもの』に目を向けてしまいます。

最善主義

 最善主義は、完璧ではないものの最善を尽くし、良い結果をだそうとする考え方です。最善を尽くすには、『今あるもの』に目を向ける必要があります。

 

 完璧主義は、『無いもの』に目を向けるので、ネガティブになりやすく。

 最善主義は、『あるもの』に目を向けるので、ポジティブになりやすいようです。

 

過去や未来になにを求めるか?

 過去や未来に完璧を求めるとどうしても、不満を見つけることにつながるような気がします。

 

 実際に僕が精神科に通院していた当初は、過去にある不満にずっと囚われていました。過去の自分や周囲に不満があって、そのせいで前に進めないという考え方をしていました。

 

 通院も終わりに向かっていたころには、完全にではないのですが、「そういう過去だからこそ得られたものもある」と考えられるようになってきていました。

 

 引きこもりの時に、『出来ないこと』に目を向けて動けなかったのに対し、仕事を始めようと思い立ったころには、「できないことがあるのはしょうがない、それでもやってみよう」と『出来ないこと』をほんの少し受け入れ、『出来ること』に目を向けられるようになっていました。

 

 過去の振り返りにも、未来への見立てにも、完璧基準だとネガティブな発想の方が多くなり、行動に移せなくなることがあったように感じます。反対に、「出来ないことがあるのはしょうがない、いま出来ることから始めよう」と、最善基準で考えることが良い結果につながり、次のステップに移ることが出来たように思います。

完璧とはなんだろう?

 最近の仕事での出来事です。予定を組み立てて、いざ始めようとした時に、急なアクシデントに見舞われました。そこで本来の予定で行うこともできたのですが、立てた予定を変更して業務を進めることにしました。すると本来の予定通りに進めていくと出くわしたであろう別のアクシデントを回避することができ、結果的に変更したことで良い結果を出すことが出来ました。

 

 その時にふと思ったことは、「完璧というのは、自分のこだわりであって、正解ではないんだろうな」ということです。

 

 完璧というのは、自分やもしくは、学校、社会、家族、色んなものの評価や基準(こだわり)というものが多いような気がします。

 

 評価や基準が大切なときは、もちろんあるとおもいますが、必ずしも正解ではない場合もあるはずです。

出来ないことよりも出来ることに目を向ける

 なにかしらの評価や基準(こだわり)に囚われて、出来ないことに落ち込んでしまうより、出来ないことを受け入れ、出来ることから始めたほうが、自由に行動が出来て、良い結果を得られると考えます。

 

 完璧(こだわり)に囚われるより、最善(自由)に重心を置く。そのほうがいろんなことが楽しくなると思います。

 

 「出来ることを探してみよう」

 「出来ることから始めてよう」

過去は、最善の選択が多い、最善の連続

 過去は今から見ると、もっと最善の方法があったと思ってしまうことがよくあると思います。しかし、その時の体調、環境、感情、色んな要因を踏まえて選んだ方法は、やっぱり最善の選択をしていたのだと思います。

 

 瞬間、瞬間で最善を選んできた自分を責めるのは、今の自分がその責めている過去よりも、成長出来ているからかもしれません。出来ていなかった当時の自分はきっと最善を尽くしています。

 

 過去は、最善の連続です。そして現在も今の時点での最善であり、未来も最善の延長線にあります。

 

 大丈夫、過去の出来事は最善でした。

 そういう風に、責めるよりも、認めるほうが大切だと思います。

 

 最後までよんでいただきありがとうございました。

 皆さんの日常が素晴らしい何かを得られる日々でありますように(^^)

 

 最善主義について書かれていた本の読書感想です。↓

raikuhon.hatenablog.com

raikuhon.hatenablog.com