なにか得る

日々『得ている』こと発見日記

対になることには、ほんの少し同じ要素が含まれる。

「自由と束縛」「親と子」、対になるもには、反対の要素がほんの少し含まれる。

 「菜根譚 心を磨く一〇〇の智慧」という本を読みました。

 本書を読んでいてい感じたことは、「対になることには、その反対の要素もほんの少し含まれている」ということです。

 

 「繁栄には、衰退につながる要因が隠れていたり、衰退には、繁栄につながる要因が隠れていたりする」

 繁栄しているからと言って変わらずに繁栄し続けることはないし、衰退しているからといってそのまま衰退し続けるということもないということです。

 

 始まれば終わるし、終われば新たなことが始まります。

 

 対になることには、その反対の要素がほんの少し含まれている。

 この考え方は、他の「対になるもの」にも当てはまるように思います。

例えば、「自由と束縛」

 自由に行動するには、自己責任がともないます。そう考えると、自由に行動することにも自己責任を取るということができないと自由に動けない場合もあります。

 

 束縛には、限られた中での行動しかできない反面、誰か、もしくは何かしらの組織(会社など)が責任を取ってくれる場合があります。やりたいことを制限の中で、工夫しながら見つけて行うこともできると思います。

例えば、「親と子」

 親だからといって完璧な人間ということは、おそらくほとんどの場合ありません。

 いわゆる「子どもっぽさ」「不完全さ」をもっていることもあります。

 

 反対に子どもにも、親よりも優れている部分があったり、親以上に「大人びた」部分を持っていることもあるはずです。

不変なものはない。

 「自由と束縛」、「親と子」、自分がどこの部分に今いるとしても、その部分に変わらずいるということは、無いと考えられます。

 

 会社に勤めていても最終的には、定年等で退社することになれば、その後の生き方を会社の方針ではなく、自分自身で選ばなくてはなりません。

 自営であっても、発展していけば何かしらのしがらみが出てくると思います。

 

 子どもは、肉体的にも精神的にも発達していき、様々な経験を通して成長していきます。

 親は、肉体的には衰えていき、子どもに追い越されていくと考えられます。

反対にある要素にも同じ要素を持ち合わせていると意識する。

 「親はこうあるべき」や「子どもはこうあるべき」など「親や子」といった価値観を、相手にいつまでも押し付けていると、「親の育て方がダメだったから自分の人生はダメだ」や「子どもは親の言うことを聞いて当たり前」などお互いに相手の「成長や不完全さ」を否定してしまうので良い方向には向かないと思います。

 

 「子が大人に変化、成長している部分に向き合う」

 「親も最初から大人ではないし、今も子供の延長線上で成長の途中と考える」

 

 互いに自分自身と同じ要素を持ち合わせていることを意識することが、建設的な関係でいつづけられると思います。

100%で不変ということは、ほとんどない。

 どういったことでも100%それしか含まないということはほとんどないと感じます。相対するものもいくらか含まれていて、その割合が増減することで立ち位置や状況が変化します。

 

 「こうあるべき」で「このまま」ということはない、事態はいつか変わる。

 そう考えるとことで、変化にある良い部分を見出し、悪い部分に対応できるようになると思います。

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 皆さんの日常が素晴らしい何かを得られる日々でありますように(^-^)

 

「菜根譚 心を磨く一〇〇の智慧」の読書感想記事です。↓

raikuhon.hatenablog.com