停滞は旅のようなもの
停滞していた日々を振り返った時感じたこと。
こんにちは、ライクです。
住んでいる地域でコロナ感染者が0人になって、もうすぐ学生が学校に登校する日を迎えようとしていた時期のことです。コンビニの駐車場に車を停車し、車から降りた時に声が聞こえてきました。
「すいませーん!そこで何をやってるんですかー?」
「何を植えてるんですかー?」
声のする方向を見てみると、数人の小学生が畑に向かって問いかけをしていました。僕の方からは、その畑に居る人が男性なのか女性なのかはわからなっかたのですが、小学生の問いかけから、おそらく小学生とは面識のない人なのだと思います。
学校は休校中だけど、こうやって勉強以外のことを学んでいたりするのかなと、少年たちを見て思いました。
新型コロナの影響で、社会は停滞しましたが、案外、自粛期間中に家庭や、学校では得られない違う場面で、色んなことを学んでいるのかもしれません。
新型コロナは社会を停滞させてしまいましたが、人それぞれで停滞を感じる時期ってあると思います。
僕は10代後半から20代前半の頃に、引きこもりを経験したのですが、様々な人に支えられて引きこもりを脱出できました。
最後にカウンセラーの先生と会って話している最中、ふと引きこもりの時期を振り返りかえりました。いろいろと思い出していると、まるで長い旅から帰ってきたような感覚になりました。
もしも、引きこもりという停滞の時期を経験していなかったら?
引きこもりを経験していなかったら?悩みに耐え抜いて社会に出ていたら?
きっと僕は重度な人間嫌いになっていたと、確信を持って言えます。
悩んで立ち止まることによっていろんな人に出会えたことで、考え方、価値観を変えることができました。この停滞の時期に出会った人は、普通に生活していたら出会うことがなかった人たちばかりです。
精神科の先生、カウンセラーの先生、デイケアのスタッフさんに利用者さん。
誰もが、不登校、引きこもりの自分を普通に接してくれました。今でもあの出会いは宝物です。
停滞の日々は今から考えると、少し日常と違った旅でした。
その旅で得た経験は今の日常で活かされています。
停滞の時期を孤独に感じたら…
旅といっても道中には、様々な場所があります。
大都会で人がたくさんいる場所。
自然豊かな田舎町。
爽やかな風の吹き抜ける大草原から、極寒の大地、灼熱の砂漠、手つかずの密林等です。
停滞の旅も人それぞれで、様々な場所があります。
大都会のような誰かがいるような場所なら支えあいやすいですが、極寒の大地のような場所では、人を探すのも、大変だと思います。でもきっと同じ停滞の旅をしている人がいます。休める場所を作っている人もいるかもしれません。
停滞の旅で孤独を感じたなら周囲を見て、仲間、休める場所を探しましょう。
そして、旅が終わった時はきっとすごい成長を遂げているはずです。
停滞の時期に得られるもの…
それは、日常にはない宝物です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
皆さんの日常が素晴らしい何かを得られる日々でありますように!
butterfly~初音ミクVersion~
考えているよりも動き出そう!冒険しよう!そう思える曲です!