本場の味と違うのは、間違いではない。それこそ“味わい深い”
海外生まれ、日本育ちの○○料理
こんにちは、ライクです。
現職で、海外の学生さんと仕事を行っています。
そんな学生さんの母国料理についての出来事。
学生さんの母国の料理を、レストランや、コンビニにある商品で食べた時に、「○○(学生さんの母国)料理たべたよ。」と言ったとします。
その料理を学生さん本人か、同じ国から来た別の学生さんが食べているとします。
「それは、本場の味とは違います。」と言われることが結構ありました。
その土地の人が、食べて美味しいと思える味になっている。
違う国で、違う国の料理を売る時、買う側の国の人、もしくは、その土地に住んでいる人に美味しく食べてもらうために、買ってもらうお客様の好みの味に合わせることってあると思います。
当初は、本場の味に限りなく近い状態で提供していたけど、お客様の好みの味とは離れている。
そうなると、食べてもらえなくなる。
そこで、現地の人向けの味に試行錯誤しながら、近づけて作っていく。
気が付いたら、本場の味と違う味になっている。
本場通りでなくていい、だからこその良さ。
本場の味と違っていても良いと思います。
その料理のルーツは違う国でも、味へのプロセスは根付いた地域らしさがあっても、作り手が「これが私の〇〇(料理名)です」といえばそれに間違いはないです。
例えば、各家庭で作るカレーだって、各家庭で隠し味や具材が違っていたりします。
もっと言うと、カレーには、インドカレー、タイカレーなど、国が違っていることだってあります。
インドの人にとっては、インドカレーがカレーだし、タイの人にとっては、タイカレーがカレーのはずです。
経験も同じで、『らしさ』がなくても間違いではない。
来日して頑張っている海外の学生さんたちですが、料理と同じことが言えると思います。
来日して頑張っている学生さん達の、母国で頑張っている同級生や、他の国に留学に行っている同級生の在学中のプロセスは違います。
この在学中のプロセスで、日本の文化、価値観を学んだ学生さんは、『日本人らしさ』を多少なりとも得られていると思います。
その『日本人らしさ』から、もしかすると帰国して社会に出た時に、周りの人から見ると、価値観に違いがあるように感じることがあるかもしれません。
しかしそれも間違えではないはずです。
地域性がなくても、その得た『らしさ』が活かせるなら、それは社会で頼りになる個性になります。
国や地域に学校、ルーツがおなじでも、プロセスが同じである必要はない。
だからこそ、支えあえてすごいチカラが出せるのだから。
それぞれのプロセスを尊重しよう!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
皆さんの日常が素晴らしい何かを得られる日々でありますように!
読書感想ブログを2記事更新しました!
1記事目は、幸運を手にいれるために必要なことが書かれた本です。
2記事目は、人生の意味を考えさせる本です。
よろしければご覧ください(^-^)