褒めることが制限になることもある。
褒めて伸ばすは伸ばすところが違うと明後日の方向に行っちゃう。
こんにちは、ライクです。
世の中には、「私は、褒められると伸びるタイプです」という方がいます。
僕自身は、褒めらると伸びるかどうかはわかりませんが、嬉しいものですよね。
ただ褒められることで、制限をかけられたように感じることもありました。
子どもの頃の母からの褒め 1.洋服
小学生の頃、まわりがファッションに興味を持ち始めたころ。
僕は、まだ洋服などにこだわりは、ありませんでした。
その時期に母が母の友人や、親戚にこう言っていました。
「うちのライクは、洋服とかに興味が無くて経済的に助かるわ」
それを聞いた僕は、洋服に興味をもたない方が母は喜ぶ、なんとなく良いことだと感じていました。
それからしばらくして、中学、高校と自分の持っている洋服が古臭く感じたりするようになります。
しかしそのころには、洋服にいまさら興味をもったと思われることが、恥ずかしく感じるようになっていました。
着ているものに、自信がないと自分にも自信がなくなってくるので、元々消極的な性格がさらに消極的になりました。
子どもの頃の母の褒め 2.言葉使い
いわゆる反抗期の時期に、両親に対して悪い言葉使いをしなかったことで、母は周囲に「うちのライクは、私たちに悪口を言わないわ」と褒めていました。
「悪口をいわない」という褒めがあってか、反抗期の時期にあまり両親へ悪口を言っていません。(現在はそうでもありません。)
ただ、悪口を言わないということは、裏を返せば意見を言わないということにつながりました。
この時期は、意見を言いたくても黙って、自分の心の中に押し込んでいました。
ほどなくして、中学でほぼ不登校になります。
『悪口=否定的な意見』を言うことが苦手だった僕は、人と話すことが辛く感じるようになっていました。
褒めることや叱ることは、ガードレールに近い。
褒めることや叱ることは、ガードレールに近いように感じます。
褒める側、叱る側の見据えた方向に、道をはみ出さずに進ませる。
その見据えた先が、褒められる、叱られる側へ思いもよらない制限をかけてしまう。
褒められた、叱られた。それは、誰のためか?
今回の制限を掛けられた褒めは、思い返すと、洋服を買わないことで僕ではなく、『家庭のお財布事情』が助かります。
『母に悪口を言わない』ことは反対の意見が出なくて、母が傷つかなくて済みます。
褒めること、叱ることは、真に誰のためになっているかが大事だと感じました。
もしも、誰かを褒める、叱ることになった場合。
褒められる側、叱られる側のためを思っての発言であるか、一呼吸入れて判断する必要があると思います。
逆に褒められた、叱られた場合。
その褒めや叱りの行きつく先は、自分のためになっているのかを考える必要があると感じます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
皆さんの日常が素晴らしい何かを得られる日々でありますように!